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2006年のワールドカップを最後に、29歳で電撃引退した今でも、日本の歴代トッププレイヤーとして海外からも評価されている中田英寿選手。
ペルージャでの電撃デビューから、ASローマでのスクデッド(優勝)などの実績はもとより、フランチェスコ・トッティやアレッサンドロ・デル・ピエロなど海外のレジェンドとの親交など、人間的な魅力も人気の一つのようだ。
最近では日本酒の会社を作り、日本文化の認知拡大にも一役買っている中田選手。
今回は、そんな中田英寿選手に対する海外の評価をご紹介したい。
フランチェスコ・トッティ(元ASローマ・イタリア代表)
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「印象的だった。後半途中、俺との交代でピッチに上がって、すぐに大きな仕事をやってのけたんだからね。本当にすごかった」
「彼のゴールがあったからこそ獲得できたスクデットだと言ってもいい。ナカタは偉大なプレーヤーだったよ」
当時優勝争いをしていた2位ユベントスとの天王山の一戦。
同じポジションでレギュラーのフランチェスコ・トッティに変わってピッチに入った中田は、印象的なミドルシュートを決めてみせた。
層の厚いチームで、サブという不遇とも呼べる扱いだったが、見事に結果を残した中田選手に、ライバルだったトッティ選手も惜しみない評価コメントを送っている。
そして、ライバルといわれ不仲説が流れたりもしたが、当の本人は中田選手をしっかりと見て評価していた。
こんなコメントが物語っている。
「素晴らしいプレーヤーであると同時に素晴らしい人間だった。人にやさしく接する術を知っていたんだ。教育の高さを感じさせるし、礼儀正しい男だったよ」
「彼のクールさだ。スクデットを決めたパルマ戦の後、ロッカールームはどんちゃん騒ぎだった。ところがナカタはロッカールームの片隅でバスローブを着て、“ファンタスティコ”な微笑みを浮かべながら俺たちのバカ騒ぎを眺めていた」
「ロッカールームのお祭り騒ぎにナカタを招待しよう。もう一度、あの微笑みを見たいからね」
ジネディーヌ・ジダン(元ユベントス、現レアル・マドリー監督)
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(01年優勝争いの試合で、終盤に同点に追いつかれた試合後のインタビューにて)
ずるいよ。あの場面で、トッティに替って中田が出てくるなんて・・・
中田選手が印象的なミドルシュートを決めた天王山で、対戦相手のユベントスでプレーしていたジダン選手。
この結果も影響し、そのシーズンはスクデッドを奪われることになったが、率直に中田選手のことを評価しているようだ。
エドガー・ダービッツ(元ユベントス)
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偶然でユベントスから2ゴールも取る事は出来ない。中田は本物だ。
中田選手のペルージャでのデビュー戦。
相手は名門で強豪のユベントス。
試合には負けたが、中田選手はデビュー戦ながら2得点を挙げ、強烈な印象を残した。
相手チームでプレーしていた名手ダービッツも、中田の力を認めている。
そんな彼は、試合終了後に中田に駆け寄って「おまえやるじゃないか」という風に肩をたたいてガッツポーズを見せた。
日本人選手が海外で認められた、印象深い瞬間だった。
アレッサンドロ・デル・ピエロ(元ユベントス・イタリア代表)
残念なことだ。まだ若いので、後悔するのではとも思う。考え直すように、電話で説得するよ。
ピッチ外でも仲が良いと言われるイタリアのレジェンド、デル・ピエロ氏。
引退発表へのコメントからも、その親しさが伺える。
カルロ・マッツォーネ(ペルージャ時代の監督)
ペルージャ時代、ローマのフロントが私にヒデのことをよく聞きに来たんだ。
精一杯、ヒデのことを褒めちぎってやったよ。
とにかく、ヒデにボールを預けておけば何とかしてくれるという感じだ。
子供たちのサッカーを見るとわかりやすいのだが、
子供たちはチームで一番上手いと思われている選手にボールを集めるだろう?
今のヒデがまさにそれだ。ヒデにボールが集まる。全員がヒデを一番上手い選手だと認めている証さ。
日本からやってきた中田を信頼して起用したマッツォーネ監督。
当時サッカーではまったく認められていなかった日本人選手を起用し、見事に結果を残した。
マッシモ・ネーリ(ASローマのフィジカルコーチ)
まず最初に指摘しておかなければいけないのは、素材としての肉体の良さです。ヒデは、一般的な日本人のように華奢ではないし、痩せてもいない。筋肉も、速筋の比率が比較的高いいい構成です。ああいう肉体を持った日本人は、滅多にいないんじゃないですか。
こちらは、優勝を経験したローマのフィジカルコーチのコメント。
技術や人間性にスポットが当たることが多いが、こうしたフィジカル等の具体的なコメントを見ると、色々な面でやはりずば抜けていたのだろうと想像できる。
イビチャ・オシム(元日本代表監督)
By Radiofabrik Community Media Association Salzburg – Flickr: Ivica Osim – SK Sturm (1999), CC 表示 2.0, Link
「彼以上の選手を見つけるのは難しい」と評価。「彼はまだ若い。再びプレーするのであれば、代表に入る余地はある」
日本代表監督時にはすでに中田選手は引退していたが、
代表選手発表会見で、このようなコメントを残している。
当時は中村俊輔をどう使うかなどで賛否両論吹き荒れていたが、中田がいれば、と思ったのは筆者だけではなかったようだ。
英紙「ガーディアン」
「全ての人が彼を小さな宝石と呼んだ」
「偉大な功績の一方、バロンドールに3度ノミネートされた中田は、クロアチア(実際はブラジル)との2006年W杯最終戦の後に29歳で引退を発表して、より大きな喪失感を残した。世界中が唖然とした」
「20代で自ら引退したフットボーラー」という特集での記事。
恥ずかしながら、中田選手がバロンドールにまでノミネートされていたことをこの記事で知った。
クリスティアーノ・ロナウドや、リオネル・メッシがしのぎを削るあの場所のほど近くまで行った選手と思うと、やはりすごい。
イタリアのサッカー情報サイト「カルチョメルカート・コム」
「ヒデトシ・ナカタ。イタリアで大きな成功を収めた最初の日本人選手で、1980年代に流行した「ホリー&ベンジー(人気漫画キャプテン翼のイタリアでのタイトル)」の10番を思い出させるような選手。サッカー史上で最も才能に恵まれたアジア人選手。マッツォーネ監督のペルージャで爆発した」
「ローマの最後のスクデットは、ナカタが明るく照らし出した」
スペイン紙『マルカ』
「中田は崇高なプレーを実践し、サッカーの歴史上で自身の名前が金色で記されるための資質を全て持っていた」
辛口でおなじみのイタリアメディアや、当時日本人選手などほとんどなじみの無かったスペインでも特集が組まれている。
現在でもアジアNO1の選手、という呼び声も高い中田英寿選手。
今後、彼に続くような、海外でもあっと言わせてくれる選手がどんどん出てきてくれることを願いたい。