久方ぶりに日本代表に復帰した浦和レッズの点取り屋、興梠慎三。
レッズでこそ輝いているが、日本代表復帰は25ヶ月ぶりということだ。
ストライカーではあれど、それほど派手なキャラというイメージもないこの選手。
浦和レッズファンでもなければ、その実態を知らない人も多いのでは無いだろうか。
今回はそんな興梠慎三選手の経歴や性格などにスポットを当ててみたい。
経歴
出身は宮崎県宮崎市で、1986年生まれ。
鵬翔高校時代には同じ鹿島でプレーした増田誓志選手とともに、全国大会にも出場している。
高校時代から世代別代表に何度も招集されていた実績もあり、高校卒業とともに鹿島アントラーズへ入団。小笠原、本山といった黄金期の選手達と7年間プレーした。
2013年シーズンからは浦和レッドダイヤモンズへ移籍。
その後リオデジャネイロ五輪にはオーバーエイジ枠で出場し、A代表選出なども経験。
2017年には浦和レッズのレジェンド、福田正博以来の、1シーズン20得点を記録した。
また、プライベートではすでに結婚して奥さんがおり、2014年に沖縄で式を挙げている。
http://www.resortwedding.net/blog/okinawa/2014/06/13/5762/
プレースタイル
ストライカーにはボールを一旦受けてタメをつくるタイプと、ディフェンスの裏へ抜け出してゴールを狙うタイプがいるが、興梠はどちらかというと後者のタイプ。
鹿島時代には小笠原選手や本山選手など、有能なパサーが多かったのもあり、絶妙なコンビネーションで活躍していた。
逆にポストプレーについては若干課題が残ると言われている。
同じ鹿島でプレーしていた大迫勇也(FCケルン)にポジションを奪われサイドに追いやられたのも、そうしたポストプレーの質が、監督の求めるサッカーと合わなかったということもあるようだ。
日本代表では1トップとして大迫が不動の位置を確保しているが、もちろんバリエーションとして興梠が取って代わるパターンも考えられる。
前線からの守備や、ゴール以外の仕事についてはハリルホジッチ監督からも絶賛されており、一定の役割は担うことができそうであるが、あとは大迫のような安定したポストプレーでタメを作る仕事ができれば、活躍は間違いないだろう。
性格
性格はその外見とは裏腹に、いたって温厚で義理堅い性格なのだそうだ。
ストライカーというと多少自分勝手でやんちゃな方が良いイメージがあるが、彼は違う。
鹿島時代には、自ら「自分の仕事場はペナルティエリア」と決めていたが、監督やチームの事情でサイドでのプレーを指示され、苦しい時期を過ごした。
それでもなんとかチームの役に立とうと奔走し、以下のようなコメントも残している。
「監督は俺のことが絶対に嫌いだと思う。いつも俺だけが叱られる」「最後は必ず監督の言うとおりになる。なんでか分からないけどそうだった。あの人のために優勝したい」
監督や選手からの評価
ハリルホジッチ監督
2017年秋の代表再選出の際には、同じく復帰を果たしたGKの西川周作とともに絶賛のコメントを残している。
ここ最近の活躍はうれしい。得点だけでなく、杉本、興梠はJリーグで最もいいアタッカーです。興梠のパフォーマンスは非常にいい。守備でも戻るところをやっていますね
手倉森誠監督
リオデジャネイロ五輪のオーバーエイジ枠で興梠を採用した手倉森監督も、彼のストライカーとしてのクオリティを絶賛している。
しなやかさと、繰り返し野性味を発揮し続けられるタフさがあります。ポストプレーも、裏へ抜け出すプレーも、引いた相手に対しても、カウンター攻撃にも適応できます。間違いなくリオデジャネイロ五輪で、チームに攻撃のバリエーションを増やせる選手です。身体能力のある相手にも彼のしなやかさは効果を発揮するでしょう
ストイコビッチ
名古屋グランパスのレジェンド、ピクシーも、監督時代に対戦した興梠についてこんなコメントを残している。
とてもインテリジェンスの高い選手。フィジカルはそうでもないと思うが、コンピュータのようにしっかりと動くべきところ、走るべきところがわかっていた
原口元気
浦和レッズで一緒にプレーしていた原口元気(ヘルタベルリン)も興梠について好意的なコメントを残している。
どんなボールでも上手く収められる。そこは本当に慎三くんの強い部分だと思う。去年、僕がああやってできていたら、シャドウの選手がもっと生きていたはずだと思います