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  • プロサッカー選手はいつ頃からサッカーを始めているのか?日本代表選手のサッカー開始年齢一覧

    プロサッカー選手はいつ頃からサッカーを始めているのか?日本代表選手のサッカー開始年齢一覧

    近年若くして海外に移籍する選手も増えてきた、日本サッカー界。
    Jリーグ開幕から着々とサッカーが根付いてきているのは間違いなさそうだ。
    そんなプロサッカー選手にあこがれる少年少女や、その親御さんも多いかと思うが、日本や世界で活躍するサッカー選手はいったい何歳頃からサッカーを始めているのだろうか。

    今回は、有名プロサッカー選手たちがサッカーを始めた年齢をご紹介したい。

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    6才以前

    ■大迫裕也(ドイツ・ケルン所属)
    ケルンで結果を残し、日本代表では押しも押されぬFWの顔となった大迫選手。
    サッカーを始めたのはなんと3才。
    地元鹿児島の加世田市でスポーツ少年団に加入したのが最初で、この頃はトップ下でプレー。

    ■長谷部誠(ドイツ・フランクフルト所属)
    日本代表キャプテンにして、ドイツ・フランクフルトでも皇帝と呼ばれるほどの信頼と成功を手に入れた長谷部選手。
    サッカーを始めた年齢は大迫選手と同じく3才。 地元静岡で、キャプテン翼にあこがれてのことだそうだ。

    ■久保裕也(ベルギー・KAAヘント所属)
    リオ世代で活躍し、A代表でもレギュラーの座を奪いつつある久保選手。
    サッカーは地元山口で、5才の時に始めており、当初はディフェンスの選手だったのだそうだ。

    ■香川真司(ドイツ・BVBドルトムント所属)
    ドイツやイングランドの名門で活躍している日本の10番、香川真司選手。
    サッカーは幼稚園に通っていた頃から始めており、小学校1年生となった1995年からは地元神戸ののマリノFCに所属した。

     

    6才〜7才(幼稚園〜小学校1年生)

    ■中島翔哉(ポルトガル・ポルティモネンセ所属)
    若くしてポルトガルで大活躍し、日本代表でもついに頭角を現しはじめた中島選手。
    サッカーを始めたのは6才の時だが、サッカースクールとフットサル教室を経て、10才の時に東京ヴェルディ下部組織へ入団している。

    ■長友佑都(イタリア・インテル・ミラノ〜トルコ・ガラタサライ所属)
    トルコへ電撃移籍の後も活躍を続ける長友選手。
    サッカーを始めたのは地元愛媛で小学校1年生の時だそうだ。
    強豪の東福岡高等学校から明治大学に進んだが、スカウトの目に止まるまでは営業職として一般企業への就職を考えていたのだそうだ。

     

    7〜8才(小学校2年生〜3年生)

    ■本田圭佑(メキシコ・パチューカ所属)
    すでに日本の顔となった本田圭佑選手は、大阪府の摂津市立鳥飼北小学校2年の時に、地元の摂津FCへ入団し、サッカーを始めている。

    ■岡崎慎司(イングランド・レスター所属)
    イングランド・プレミアリーグでレギュラーを勝ち取り、チーム優勝にも貢献した日本代表岡崎選手。
    サッカーを始めたのは、地元兵庫県の三田市立けやき台小学校2年生の時で、お兄さんに影響されてのことだそうだ。

    ■吉田麻也(イングランド・サウサンプトンFC所属)
    日本代表のセンターバックであり、ディフェンダーながらイングランドでもレギュラーの座をしっかりつかんでいる吉田選手。
    サッカーは小学校2年生のときに、地元長崎の南陵FCで始めている。

    ■中田英寿(元イタリア・ASローマなど)
    日本で最も成功した選手と言われる中田英寿選手。
    サッカーを始めたのは、小学3年生(8才)のときで、やはりお兄さんの影響で、地元山梨の北新サッカースポーツ少年団からだそうだ。

     

    年齢不明

    ■久保建英(バルセロナ下部組織〜FC東京所属)
    日本人で初めてスペイン・FCバルセロナの下部組織でプレーをしていた久保建英選手。
    始めた年齢は明らかになっていないが、地元川崎市の少年サッカークラブでのプレーが最初のようだ。
    その後8才の時に、FCバルセロナの下部組織へ入団している。

  • 【海外の反応】中田英寿の評価はやっぱりすごかった。トッティやオシムなどカリスマ達のコメント一覧

    【海外の反応】中田英寿の評価はやっぱりすごかった。トッティやオシムなどカリスマ達のコメント一覧


    By 英語版ウィキペディアNeogeolegendさん, CC 表示-継承 3.0, Link

     

    2006年のワールドカップを最後に、29歳で電撃引退した今でも、日本の歴代トッププレイヤーとして海外からも評価されている中田英寿選手。
    ペルージャでの電撃デビューから、ASローマでのスクデッド(優勝)などの実績はもとより、フランチェスコ・トッティやアレッサンドロ・デル・ピエロなど海外のレジェンドとの親交など、人間的な魅力も人気の一つのようだ。

    最近では日本酒の会社を作り、日本文化の認知拡大にも一役買っている中田選手。
    今回は、そんな中田英寿選手に対する海外の評価をご紹介したい。

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    フランチェスコ・トッティ(元ASローマ・イタリア代表)


    By romazoneDSC_0681_totti, CC 表示 2.0, Link

    「印象的だった。後半途中、俺との交代でピッチに上がって、すぐに大きな仕事をやってのけたんだからね。本当にすごかった」
    「彼のゴールがあったからこそ獲得できたスクデットだと言ってもいい。ナカタは偉大なプレーヤーだったよ」

    当時優勝争いをしていた2位ユベントスとの天王山の一戦。
    同じポジションでレギュラーのフランチェスコ・トッティに変わってピッチに入った中田は、印象的なミドルシュートを決めてみせた。
    層の厚いチームで、サブという不遇とも呼べる扱いだったが、見事に結果を残した中田選手に、ライバルだったトッティ選手も惜しみない評価コメントを送っている。

    そして、ライバルといわれ不仲説が流れたりもしたが、当の本人は中田選手をしっかりと見て評価していた。
    こんなコメントが物語っている。

    「素晴らしいプレーヤーであると同時に素晴らしい人間だった。人にやさしく接する術を知っていたんだ。教育の高さを感じさせるし、礼儀正しい男だったよ」
    「彼のクールさだ。スクデットを決めたパルマ戦の後、ロッカールームはどんちゃん騒ぎだった。ところがナカタはロッカールームの片隅でバスローブを着て、“ファンタスティコ”な微笑みを浮かべながら俺たちのバカ騒ぎを眺めていた」
    「ロッカールームのお祭り騒ぎにナカタを招待しよう。もう一度、あの微笑みを見たいからね」

    ジネディーヌ・ジダン(元ユベントス、現レアル・マドリー監督)


    By Tasnim News Agency, CC 表示 4.0, Link

    (01年優勝争いの試合で、終盤に同点に追いつかれた試合後のインタビューにて)
    ずるいよ。あの場面で、トッティに替って中田が出てくるなんて・・・

    中田選手が印象的なミドルシュートを決めた天王山で、対戦相手のユベントスでプレーしていたジダン選手。
    この結果も影響し、そのシーズンはスクデッドを奪われることになったが、率直に中田選手のことを評価しているようだ。

     

    エドガー・ダービッツ(元ユベントス)


    By http://www.postproduktie.nl, CC 表示 2.5, Link

    偶然でユベントスから2ゴールも取る事は出来ない。中田は本物だ。

    中田選手のペルージャでのデビュー戦。
    相手は名門で強豪のユベントス。
    試合には負けたが、中田選手はデビュー戦ながら2得点を挙げ、強烈な印象を残した。
    相手チームでプレーしていた名手ダービッツも、中田の力を認めている。

    そんな彼は、試合終了後に中田に駆け寄って「おまえやるじゃないか」という風に肩をたたいてガッツポーズを見せた。
    日本人選手が海外で認められた、印象深い瞬間だった。

     

    アレッサンドロ・デル・ピエロ(元ユベントス・イタリア代表)

    残念なことだ。まだ若いので、後悔するのではとも思う。考え直すように、電話で説得するよ。

    ピッチ外でも仲が良いと言われるイタリアのレジェンド、デル・ピエロ氏。
    引退発表へのコメントからも、その親しさが伺える。

     

    カルロ・マッツォーネ(ペルージャ時代の監督)

    ペルージャ時代、ローマのフロントが私にヒデのことをよく聞きに来たんだ。
    精一杯、ヒデのことを褒めちぎってやったよ。

    とにかく、ヒデにボールを預けておけば何とかしてくれるという感じだ。
    子供たちのサッカーを見るとわかりやすいのだが、
    子供たちはチームで一番上手いと思われている選手にボールを集めるだろう?
    今のヒデがまさにそれだ。ヒデにボールが集まる。全員がヒデを一番上手い選手だと認めている証さ。

    日本からやってきた中田を信頼して起用したマッツォーネ監督。
    当時サッカーではまったく認められていなかった日本人選手を起用し、見事に結果を残した。

     

    マッシモ・ネーリ(ASローマのフィジカルコーチ)

    まず最初に指摘しておかなければいけないのは、素材としての肉体の良さです。ヒデは、一般的な日本人のように華奢ではないし、痩せてもいない。筋肉も、速筋の比率が比較的高いいい構成です。ああいう肉体を持った日本人は、滅多にいないんじゃないですか。

    こちらは、優勝を経験したローマのフィジカルコーチのコメント。
    技術や人間性にスポットが当たることが多いが、こうしたフィジカル等の具体的なコメントを見ると、色々な面でやはりずば抜けていたのだろうと想像できる。

     

    イビチャ・オシム(元日本代表監督)

    By Radiofabrik Community Media Association SalzburgFlickr: Ivica Osim – SK Sturm (1999), CC 表示 2.0, Link

    「彼以上の選手を見つけるのは難しい」と評価。「彼はまだ若い。再びプレーするのであれば、代表に入る余地はある」

    日本代表監督時にはすでに中田選手は引退していたが、
    代表選手発表会見で、このようなコメントを残している。
    当時は中村俊輔をどう使うかなどで賛否両論吹き荒れていたが、中田がいれば、と思ったのは筆者だけではなかったようだ。

     

    英紙「ガーディアン」

    「全ての人が彼を小さな宝石と呼んだ」
    「偉大な功績の一方、バロンドールに3度ノミネートされた中田は、クロアチア(実際はブラジル)との2006年W杯最終戦の後に29歳で引退を発表して、より大きな喪失感を残した。世界中が唖然とした」

    「20代で自ら引退したフットボーラー」という特集での記事。
    恥ずかしながら、中田選手がバロンドールにまでノミネートされていたことをこの記事で知った。
    クリスティアーノ・ロナウドや、リオネル・メッシがしのぎを削るあの場所のほど近くまで行った選手と思うと、やはりすごい。

     

    イタリアのサッカー情報サイト「カルチョメルカート・コム」

    「ヒデトシ・ナカタ。イタリアで大きな成功を収めた最初の日本人選手で、1980年代に流行した「ホリー&ベンジー(人気漫画キャプテン翼のイタリアでのタイトル)」の10番を思い出させるような選手。サッカー史上で最も才能に恵まれたアジア人選手。マッツォーネ監督のペルージャで爆発した」
    「ローマの最後のスクデットは、ナカタが明るく照らし出した」

    スペイン紙『マルカ』

    「中田は崇高なプレーを実践し、サッカーの歴史上で自身の名前が金色で記されるための資質を全て持っていた」

     

    辛口でおなじみのイタリアメディアや、当時日本人選手などほとんどなじみの無かったスペインでも特集が組まれている。

    現在でもアジアNO1の選手、という呼び声も高い中田英寿選手。
    今後、彼に続くような、海外でもあっと言わせてくれる選手がどんどん出てきてくれることを願いたい。

  • サッカー移籍金比較。海外日本人選手と世界のスター、そしてJリーグ

    サッカー移籍金比較。海外日本人選手と世界のスター、そしてJリーグ

    ACミランの本田圭祐選手が出場機会を失い、契約の切れる2017年夏には他チームへ移籍すると言われて久しい。
    海外サッカーのファンであれば耳馴染みのある”移籍金”というキーワードだが、世界のスタート日本人選手、そして海外リーグとJリーグではどのような特徴や違いがあるのか。

    今回は移籍金初心者の方に向けて、歴代移籍金のデータをもとに、それらの特徴をご紹介してみたい。

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    海外日本人選手の移籍金

    中田英寿選手の成功を皮切りに、近年では海外へチャレンジする日本人選手もだいぶ増えてきた。
    香川真司選手のようにこれまで日本人が到達したことの無いようなビッグクラブに移籍する選手も登場したりと、日本人選手への待遇も侮れない。
    まず歴代の高額移籍金の上位5人は以下のような内容だ。

     

    1)中田英寿
    2200万ユーロ(約29億7000万円)
    ペルージャ → ローマ(2000年1月)

    2600万ユーロ(約35億1000万円)
    ローマ → パルマ(2001年7月)

    2)香川真司
    1600万ユーロ(約21億6000万円)ドルトムント → マンチェスター・ユナイテッド(2012年7月)

    800万ユーロ(約10億8000万円)
    マンチェスター・ユナイテッド → ドルトムント(2014年8月)

    3)岡崎慎司
    950万ユーロ(約12億8250万円)
    マインツ→ レスター・シティ(2015年7月)

    4)本田圭佑
    900万ユーロ(約12億1500万円)
    VVVフェンロ → CSKAモスクワ(2010年1月)

    5)長友佑都
    6億7000万円
    チェゼーナ → インテル・ミラノ(2011年)

     

    ちなみに話題の本田圭祐選手は、CSKAモスクワからACミランへの移籍の際には大々的に記者会見を行ったが、契約満了での移籍となったため、ミランが支払った移籍金としてはゼロ
    通常スター選手が移籍する際には移籍金も話題になることが多く、その額で移籍の大きさが計れたりもするが、そういった意味では、ミランと本田選手は移籍金ゼロ移籍とはいえ上手にメディアを盛り上げた、と言えるかもしれない。

     

    ちなみに6位以降は以下のように続く。

     

    6)清武弘嗣
    6億円
    ニュルンベルク → ハノーファー96(2014年)

    7)中村俊輔
    5億5000万円
    レッジーナ → セルティック(2005年)

    8)小野伸二
    4億5000万円
    浦和レッドダイヤモンズ → フェイエノールト(2001年)

    9)武藤嘉紀
    4億円
    FC東京 → マインツ(2015)

     

    ちなみに1977年、日本人で初のブンデスリーガープレーヤーとなった奥寺康彦選手の移籍金は3000万円、年俸は2500万円と言われている。
    奥寺選手を獲得したケルンは古巣の古川電工に、当時では破格の待遇で迎えるべくこの移籍金と年俸を支払ったのだそうだ。すごい。

     

    世界のスター選手たちの移籍金

    海外サッカーのスター選手たちはその移籍金も破格。
    ビッグクラブはすでに完成された選手を即戦力として買うため、当然移籍金や年俸もものすごい額に。
    以下は上位5人の移籍金だが、それにしても、桁外れの金額だ。

     

    1)ポール・ポグバ
    ユヴェントスFC → マンチェスター・ユナイテッドFC(2016年)
    8900万ポンド(約127億2700万円)

    2)ガレス・ベイル
    トッテナム・ホットスパーFC → レアル・マドリード(2013年)
    8530万円(約121億9790万円)

    3)クリスティアーノ・ロナウド
    マンチェスター・ユナイテッドFC → レアル・マドリード(2009年)
    8370万ポンド(119億6910万円)

    4)ゴンサロ・イグアイン
    ナポリ → ユヴェントス移籍(2016年)
    7530万ポンド(約107億6790万円)

    5)ルイス・スアレス
    リヴァプール → バルセロナ(2014年)
    7500万ポンド(約107億2500万円)

     

    1位のポール・ポグバはもともとマンチェスター・ユナイテッドの下部組織に所属していたが、出場機会を求めてゼロ円で移籍した経歴がある。
    そして大きく育ったポグバ選手をこの金額で買い戻す、マンチェスター・ユナイテッドの懐の大きさにも驚くばかり。

     

    Jリーグの移籍金

    そしてJリーグ。
    2017年よりdaznが放映権を獲得したことにより、リーグに大きなお金が入った。
    これによりドイツのポドルスキを筆頭に、中村俊輔選手など有名選手の移籍も目立った。
    今後も増えていくかもしれないが、これまでのJリーグ高額移籍金のランキングは以下の通り。

     

    1)清武 弘嗣(日本代表)
    6億円
    セビージャ(スペイン) → セレッソ大阪(2017年)

    2)イルハン・マンスズ(元トルコ代表/現役引退)
    4億8000万円
    ベシクタシュ(トルコ) → ヴィッセル神戸(2004年)

    3)ディエゴ(ブラジル/モンテディオ山形)
    4億5000万円
    東京ヴェルディ→京都サンガFC(2009年)

    4)ドゥドゥ・セアレンセ(元ブラジル代表/ボタフォゴ)
    4億3000万円
    ヴィトーリア → 柏レイソル(2004年)

    5)水本裕貴
    ガンバ大阪 → 京都パープルサンガ(2008)
    4億円

     

    1位の清武選手は、セビージャで出場機会を失っているところを古巣セレッソに買い戻された格好に。
    セレッソとしても大きな買い物だったようだが、選手育成に力を入れ、長い目で選手と付き合うスタンスのセレッソならではの取り計らいだ。

     

    やはり中田英寿はすごかった

    以上、海外日本人選手、海外スター選手、Jリーガーと、ある種選手の価値を示す「移籍金」を見てきたが
    日本人では実績も含め、中田英寿選手が頭一つ抜きんでている。

    それでも移籍金世界一のポール・ポグバはその3.5倍というのだから、まだまだ世界は広い。

    今後も中田選手を超え、世界にとどろくような日本人選手が出てくることを期待したい。

  • ついにFIFA役員に就任したサッカー中田英寿、今はどんなビジネスをしているのか?

    ついにFIFA役員に就任したサッカー中田英寿、今はどんなビジネスをしているのか?

    By norio nakayamaFlickr: ロンドンチャレンジ沖縄ツアー, CC 表示-継承 2.0, Link

     

    元日本代表サッカー選手の中田英寿氏。

    日本代表のエースとして初のワールドカップ出場に貢献、イタリアセリエAやイングランドプレミアリーグ等で活躍したが、
    29歳にして電撃引退し、その後は世界50カ国以上を旅してさらに話題をさらった。

    引退時には「サッカーしか知らない人間にはなりたくない」という言葉を残し、
    そのセカンドキャリアにも注目が集まった同氏だが、実際はどんな活動をしているのだろうか。

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    引退後のビジネス活動

    2006年のワールドカップを最後に、日本代表だけでなく現役引退を表明した中田英寿氏。
    当時のメディアの情報では、そのまま世界を放浪する旅に出た、ということだったが、実は同年12月より、表舞台へも登場している。

    以下、引退後しばらくの間の、主なビジネスに関わる活動をまとめてみた。

     

    ■2006年
    12月、翌年開催の第14回アジアカップの組み合わせ抽選会にドロワーとして出席。

    ■2007年
    ・モナコの居住権取得。
    モナコの居住権を獲得するには以下の条件が必要だ。中田氏の場合は①もしくは③に当てはまるのだろうか?
    ①モナコで事業を営む、②モナコ企業の従業員になる、③退職者として居住(30万ユーロ=約3078万円を現地銀行へ預けることが必要)

    ・FIFA親善大使に就任。(世界で16人目)
    ブラッター会長直々に、中田の世界での活動を評価したとのこと。

    ■2008年
    ・『TAKE ACTION! 2008 実行委員会』立ち上げ。
    海外スター選手を招いてのサッカー親善マッチ『+1 FOOTBOOL MATCH』などを海外各所で開催。
    各所でスター選手を招いてチャリティーマッチを開催。

    ■2009年
    ・FIFAとコカ・コーラが共催する「コカ・コーラ FIFAワールドカップトロフィーツアー」のアンバサダーに就任。アフリカへの支援活動などを行う。

    ・国土交通省観光庁の有識者会議「観光庁アドバイザリー・ボード」のメンバーに参画。世界各地を回った経験が評価され、定期的に会合に出席してアドバイスを行った。

    ・フジテレビ「すぽると!」の月曜日「マンデーフットボール」に半年間、月1回の不定期で録画出演

    ・アラブ系最大のサッカー雑誌『Super』による、年間最優秀アジア選手・アフリカ選手・アラブ選手の審査団メンバーに就任。
    選手の選出方法から参画して、表彰式にも出席。また年間最優秀アジア選手賞のプレゼンターも勤めた。

    ・TAKE ACTION F.Cとして、山梨県サッカー協会主催のヴァンフォーレ甲府との親善試合と、F.Cのメンバーによるサッカー教室を開催。収益の一部は寄付した。

    ・AKEACTION!クリック募金「ケニアに10万食の給食を届ける!」(WFP支援プログラム、協力企業:株式会社東芝)を開催。

     

    現在の活動

    ここ最近はたまにCMや雑誌取材等で見かけるものの、メディア等で大きく騒がれている印象はないように見える。
    ただ、以下のとおり活動は継続して続けられており、むしろより地盤のしっかりとした動きになってきているのかもしれない。

     

    ・一般財団法人「TAKE ACTION FOUNDATION」代表理事。
    世界各地でのチャリティーマッチなど、各種慈善活動を行う。

    ・株式会社東ハトの非常勤執行役員(CBOChief Branding Officer)
    キャラメルコーンやハーベストのパッケージリニューアルや、社員啓発のため共著の絵本「お菓子を仕事にできる幸福」を配布。

    ・観光庁「アドバイザリー・ボード」のメンバーに参画。
    定期的に会合に出席し、観光庁の運営方針や施策の立案・実施状況等についてアドバイスなどを行っている。

    ・朝日新聞社の「AERA」にて、コラム「つなぐ」を連載中。

    ・FIFA国際サッカー評議会(IFAB)諮問委員就任。
    2017年諮問委員アジア代表FIFA役員として活動を始める。

     

    その他

    その他にも、自身の所属事務所である「サニーサイドアップ」の大株主でもあり、取締役の次原氏に次ぐ第2位の株主となっていたり、
    Jリーグ時代に所属していた湘南ベルマーレ(当時はベルマーレ平塚)に対しては、「nakata.net」の名で広告を出して出資し、2002年より依頼継続してスポンサーを勤めたりもしている。

    その他、当然キャノンや資生堂、カルバンクライン等のCM出演、テレビ・ラジオ出演も多い。

     

    そして、先にも書いたが、2017年初頭にはついにFIFA役員としての活動も開始した中田英寿氏。

    サッカー、ビジネス、個人として、これまでに積み上げてきたものが、次々と繋がろうとしている。